meitaroの日記

めいたろママです。日々の育児の中での出来事や感じた事、懐かしんだり後悔したりするブログです。是非ご拝読の程宜しくお願い致します。

健康に生まれるという事

こんばんは。

めいたろママです。

 

本日2度目の登場です。

明日は子供の遠足の日です。

天気も良好。

子供も楽しみにしております。

明日・・・・。

ハロウィーンです。

遠足。

お弁当。

4歳。

はい。

キャラ弁決定。

・・・つらい(笑)

苦手なんです。

でも頑張ります。

一応(笑)

 

はい。

今朝に引き続きいろいろお話していきたいと思いますので最後までお付き合いください。

 

やっと・・・!やっとの思いで出てきた我が子。

そりゃもう可愛かったです。

名前は出産前から決めていた「めいたろ」

もちろんここでは仮名です。

生理的微笑でも可愛くて仕方ありませんでした。

 

私はというと・・・

麻酔が切れて痛み止めを飲んでも痛い。

とにかく痛い。

しかも絶食絶飲。

うがい用で口に含んだ水を半分だけ飲むという巧妙な技を駆使していました。

体力も限界を超えてました。

しかし母乳はかなりの豊作具合。

パンパンです。

 

そしてこれはかなりびっくりしたんですが・・・(笑)

私は幼少期から副乳が両側にあるのですがそこからも母乳が・・・(笑)

四つ子までいけるやーん。

副乳にも乳腺って通ってるんですね。

28歳にして新たな発見でした。

 

めいたろも色々検査があったようです。

正直看護師さんの言われるがままサインして必要な検査を済ませていました。

親としてどうなのかと言われそうですがそれが何の検査なのか自分で調べるほどの気力も体力もありませんでした。

 

10日間の入院生活を終え実家に1か月お世話になることになっています。

久しぶりの実家。

姉も近くに住んでいることもあり安心して生活を始めました。

 

そんな中めいたろを産んだ産婦人科から連絡がありました。

「検査で引っかかったものがあるので再検査を受けてほしい」

と。

え・・・?なんの検査?

なんか悪いこと?

色々な考えが頭をぐるぐる回っていたいました。

でも電話の向こうから

「よく擬陽性がでるから念のためね」

と言って頂けたので安心しました。

 

その日のうちに再検査の為、産婦人科に行き採血をしました。

2~3日で結果が出ると。

正直そこまで心配はしていませんでした。

擬陽性だろうと。

 

数日後電話が鳴りました。

「検査結果が出たのですぐに病院に来てほしい」

 

結果が良くなかったことはすぐにわかりました。

電話口で聞いても

「とにかく病院に来て先生から説明を聞いてください」

これしか言われません。

 

とにかく病院に行こうと母と生後間もないめいたろを連れて病院に向かいました。

 

診察室から呼ばれ先生の話が始まります。

「検査の結果、陽性でした」

 

・・・・。

病院に着くまでに覚悟はしてました。

でもなんで。

 

それから先生は色々説明してくださいました。

甲状腺が。TSHの数値が・・・。T4も・・・」

さっぱりです。

辛うじて聞いたことのある甲状腺も何の役割があってどこにあるのかもわかりません。

 

私がようやく聞けたことは

「何の病気ですか」

 

結果としては産婦人科では正式な病名の診断ができないので大きな病院の紹介状を書くので改めて行ってほしいと。

いやいや。

もっと教えて。

何処がどう悪くてどうなるのか。

症状は?

・・・治るの?

 

先生が教えてくれたことで唯一覚えているのワードが

「小人症」

 

多分色々説明してくれたんだとは思います。

でも全くと言っていいほど覚えていません。

このワードを聞いてからは。

 

とにかく大きな病院に行くしか詳しいことはわからない。

診察室を出て待合室で紹介状と会計を待ってました。

そこに看護師さんが大きな病院に行く日にちの確認をしに来た時。

 

私はめいたろを抱いたまま泣いてました。

ボロボロです。

号泣レベルだったと思います。

顔見知りの看護師さんだったため看護師さんもびっくりです。

いや。

顔見知りじゃなくてもびっくりだったでしょうし周りの妊婦さんも何事かと思ったと思います。

でもこちらとそれどころじゃないんです。

わからないんです。

全てが。

この腕の中にいる我が子が一体どんな病気なのか。

 

帰ってからそりゃもう調べまくりました。

先生が言っていたワードを必死に思い出しながら。

如何せん記憶力も乏しいためさっぱりでした。

それでも調べずにはいられませんでした。

 

主人にももちろん電話で結果は報告してましたが私以上に不安だったんじゃないかと思います。

だって説明を聞いてきたはずの本人がさっぱりなんです。

主人が理解できるような説明を出来るわけがありません。

でも主人は

「大丈夫。今心配しても仕方ない。ちゃんとした結果が出るまでは考えすぎるな」

と。

泣きながら電話してる私を落ち着かせてくれました。

 

本来なら私がしっかりしないといけなかったのですがダメダメでしたね。

気丈になんて出来ませんでした。

 

さて今日はこの辺で一旦終わりたいと思います。

中途半端ではありますが明日改めてその後を書きたいと思います。

気になる方もならない方も一度目を通してみて下さいね。

 

ではおやすみなさい。

帝王切開は手術かお産か

こんにちは。

めいたろママです。

 

最近はめっきり寒くなり朝はお布団が私を離してくれません。

困ったやつです。

個人的には夏より冬の方が好きです。

寒さは着込めば何とか耐えられますが暑さはだめです。

裸になっても暑いんです。

嫌ですね。

 

さて今日は子育ての話を・・・と言いたいところですが出産が緊急帝王切開になったため直面したことについてお話したいと思います。

 

世に蔓延る自然分娩推奨論。

わかります。

「腹を痛めて産んだ子だから」

良く聞く言葉です。

確かにあの痛みを耐えて生まれた子に対する愛情はひとしおでしょう。

やり切った!という気持ちもあるでしょう。

自分で生んだ!という気持ちも高まると思います。

だからこそ「自然」分娩なんだと思います。

 

正直帝王切開だった私は自分に対して負い目を感じていたことも事実です。

だから手術が終わって母に「自分で生めなかった」という言葉が出かけたんだと思います。

飲み込みましたが。

 

里帰りも終わり自宅に戻り子供も7~8か月になる頃ようやく友人の家に遊びに行ったり誰かが自宅に遊びに来てくれたりと外界と繋がれるようになりました(笑)

話はやっぱり出産の話です。

先日お話したような事を友人にも話していました。

大抵の友人は

「大変だったね」

「傷痛い?」

など労いの言葉をかけてくれました。

 

ただ中には悪気はなくとも

「そんなこといわなくても・・・」

という言葉を投げかけてくる人もいました。

 

「本当に頑張ったの?」

「切っただけなら楽だったでしょう?」

「結局あの痛み経験してないんだ」

 

そうかもしれません。

確かに陣痛は経験しましたが産み落とすという事はしてませんしお腹を切ってお医者様の手によって取り上げてもらいましたから。

 

でも。

自分の子供を産むのに頑張らない人なんていない。

切ったからこそ痛い。

言わせてもらいます。

お腹と子宮切られたことあんの?

(笑)

 

不思議ですね。

同じ子を持つ親としてそこまで価値観が違うとは。

 

分娩って今は色々な方法があります。

自然分娩

帝王切開

和痛分娩

無痛分娩

私はそれを誰にも指図されず母親が決めるべきだと思います。

帝王切開は自分で選択はできませんが。

だって周りが何を言ったって出産に伴う痛み、ストレス、傷跡そのすべてを請け負うのは母親なんです。

だからこそ母親の決めた事を父親となる旦那様、両親、兄弟姉妹、友人として全身全霊でサポートしてあげる事が大事なんじゃないかと。

ここは母親の特権を行使すべきです。

 

私の好きな漫画の一つ

コウノドリ

ありましたね。

帝王切開についての回が。

 

帝王切開を受ける妊婦さんは

 自分の病気や怪我を治す為でもなく

 赤ちゃんの命を守ためだけに命を懸けて

 自分から手術台の上に上るんです。

 

 僕らはそれをお産ではないと言えません。

 

 帝王切開は立派なお産です。」

 

誰かに言ってほしかったのかもしれません。

まさか漫画のキャラクターに言われるとも思ってませんでしたが(笑)

 

母親になった方々それぞれの出産があったと思います。

もっとああしてればこうしてれば・・・。というのもあると思います。

だけどまずは頑張ったんです。

褒めましょう。

周りが褒めてくれないのであればまずは自分が。

自画自賛

大いに結構じゃないですか。

 

女性は本来、薬や医療の力を借りず子を産むという力は備わっていると思います。

人間といっても所詮動物には変わりありませんし。

でもお薬や医療の力によって助かった命があることも事実です。

ここはひとつ医療の恩恵を受けましょう。

負い目を感じることなく。

そのため医療は発展し続けるのです。

 

可愛い子供の顔を見て私もどう生んだかなんてどうでもよくなってきました。

最近ですが。

帝王切開は手術でもありお産でもある。

という事にしておきましょう。

 

結果今日は

「私頑張ったもん」の回でしたね。

 

先日出産の話を書きながら当時を思い出しました。

なので今日はこんな話になりました。

 

昔からある話っちゃそうなんですけね。

今回の話は私なりに帝王切開を経験して思ったことです。

考えはみんな違っていいと思います。

そしてその考えが正しいとも間違ってるとも誰にも言えないと思います。

でもその考えを言葉にすることによって相手がどう感じるか一呼吸おいて考えることも大事でしょう。

このことに限らずですね。

 

「人の振り見て我が振り直せ」

 

努力致します。

 

さてさて全くと言っていいほど子育てブロブの主人公である子供がなかなか登場しませんね。

次回は必ずや子育ての話をしたいと思います。

 

では良い1日を。

 

 

 

 

 

壮絶な出産・・・それとも・・・。

こんにちは。

めいたろママです。

 

やっと風邪も良くなって一安心しています。

今シーズンの風邪はこれで懲り懲りです。

夫婦で風邪をひいていたのですが不思議なことに子供には一切移りませんでした。

移らないに越したことはないのですが。

でもこっちが風邪をひいていて子供が元気だと困るのは相手をしてあげられない事です。

プリキュア様様です。

録画していた分を存分に見て頂きました。

感謝。

 

さて。

本日は前回お話した妊娠の終着点。

いよいよ出産です。

 

出産を迎えるころには私も28歳になっており周りからの情報もそれはそれは豊富にありました。

ある友人は・・・

「腰をダンプカーが常に往復している感じ」

だとか

また他の友人は

「背骨を木こりに鋸でギコギコされる感じ」

だとか・・・。

うん。

細かな例えはさておき伝わってくるのは

「痛い。兎にも角にも痛い」

それだけ。

 

でしょうね。

3キロの人間が出てくるんですもの。

痛くなきゃそりゃ嘘だ。

 

覚悟しておきます。

ちなみに私は痛みには滅法弱い事は自負しております。

採血でさえダメなんです。

しますよ。

必要とあらば。

 

でもだからと言って出産は待ってはくれません。

出すために大事に育てましたよ。

15キロも太って(笑)

待たずともその日はやってきます。

 

予定日は来たる6月5日。

里帰りももして準備は万端。

しかし予定日はあくまで予定。

大抵は遅れるみたいですね。

私も例にも漏れず予定日は超普通に過ごしてました。

 

翌日。

朝におしるしが来ました。

病院に行くもまだまだだと。

子宮口も開いてなく帰されました。

その夜からです。

前駆陣痛が来ました。

簡単に言えば生理痛の10倍痛いやつです。

はい。

寝れません。

それが10分おきに来るんです。

完全に起こしに来てます。

 

予定日を過ぎていたこともあり検診は毎日行ってました。

しかし行っても帰されます。

子宮口も開いてなく赤ちゃんも下りてきてないと。

産婦人科の廊下で悶えながら会計をして帰ってました。

 

予定日を3日過ぎた6月8日。

その日は実家に姉家族も来ていてみんなで焼き肉をしてました。

そんな中私は。

もう無理。

泣いてました(笑)

痛いんです。

でもさすが母。

一言。

「まだまだそんなもんじゃないから」

 

 

そうだろうけど!!!!

 

結果予定日も過ぎてるしこのまま夜は過ごせないだろうという事で母と主人と夜10時に病院に向かいました。

 

病院に着くと色々検査をしてもらいそのまま入院になりました。

主人も翌日が休みだったため付き添ってもらい母は帰宅です。

始まりました。

いよいよです。

 

陣痛が落ち着く間に色々考えてました。

どのくらいで生まれるかな。

大きいかな。

小さいかな。

これ以上痛くなるんだろうな・・・。

まあ5分おきに陣痛が来るもんで思考もそこまで深くには至りませんでした。

5分おきに私が唸るので主人もその度腰をさすり朝を迎えるころにはゲッソリです。

そして思い出して下さい。

前日の晩御飯。

焼き肉です。

陣痛室には焼き肉フレーバーが漂っていました。

最悪です。

 

トイレに行くのも一苦労。

というより怖かったんです。

何か出てきそうで。

こんなことでは出てこない事は後から嫌というほど思い知ることになりましたが。

 

そんなこんなではっきりした時間は覚えてませんが昼前位に仕事を早く切り上げ母が来てくれました。

それから主人とバトンタッチ。

昼過ぎには促進剤の投与が始まりました。

先生の話を痛みを堪えながら聞いてました。

「促進剤を入れたから夕方5時か遅くても7時には生まれると思うよ。」

一筋の光が見えました。

それからはひたすら時計と睨めっこです。

2分おきに

「今何時?」

と聞いていた気がします。

 

でも・・・

5時になっても・・・

7時になっても・・・

生まれる気配がありません。

先生の嘘つき・・・

 

いや

先生は悪くありません。

ただそれくらい疲れてました。

前駆陣痛でずっと寝れてなかったんです。

 

それから8時か9時にようやく分娩室に入れました。

しかしいよいよ生まれる!という感じではなくとりあえず入れとくか・・・的だったのはひしひしと感じました。

その証拠に分娩室に入ってもほぼ放置。

 

・・・え・・・?

何すればいいの・・・?

 

それからは正直記憶も曖昧で。

途中で看護師さんが来て

「あー破水したねー」

え-----(笑)簡単に言うなやーん(笑)

 

いきみ方やタイミングを教えてもらい必死にいきみます。

主人も必死です。

主人は普段淡々とした人なんですが

私がいきむ度に

「いいよ!今のうまい!」

など声をかけてくれます。

新手のカメラマンばりに。

 

しかしまあ出てこない(笑)

隣の分娩室からは後から来た方なのに元気な産声が。

羨ましい。

その一言に尽きます。

 

いよいよ出てこない上、破水をしていたので看護師さんから主人に話があると。

「このままだと帝王切開になるかも」と・・・。

うそーーーーーん。

でもまあ背に腹は変えられません。

「そうすべきならそうしてください」と。

 

そうと決まればさっさとこの腹切って早く我が子に会わせてくれ!!

しかし夜も11時を回った産婦人科

麻酔科医が常駐しているわけではありません。

「麻酔科医が来るまで30分はかかるよ」

耐えるしかありません。

いきむわけにもいかずただただ耐えました。

 

この30分が1番つらかったかもしれません。

自分の力で生めないんだ・・・。

そのことだけが頭をぐるぐる回ってました。

 

麻酔科医が到着し分娩室から一転、一気に手術室に変わりました。

部分麻酔をかけられスー――――と痛みが引いていった時は感動しました。

 

カチャ・・・カチャ・・・という音が聞こえてきて

「本当にドラマで見る手術みたいな音がする」

そんな暢気なことを考えながら涙が止まりませんでした。

やっと生まれるという安心からか

始めての手術の不安からか

ひとつだけわかっていたのは帝王切開になった為、主人が分娩室から出されそばにいなかったことです。

ただただ怖かったんです。

泣いてる私に気付いた麻酔科医の女医先生がずっと手を握っていてくれました。

 

手術時間は40分足らず。

何をされてるのかわからないまま・・・

甲高い産声が聞こえてきました。

6月10日日付も変わった0時9分

49センチ3092g

やっと・・・生まれた・・・。

 

軽く先生に処置をされた後私の顔のそばに。

初めてかけた言葉は

 

「お疲れ様。ごめんね。」

 

これが精一杯でした。

 

全ての処置が終わり分娩室を出ると両親と主人が待っていてくれました。

姉家族も生まれるまでいてくれてたと。

母が

「頑張ったね。お疲れ様。」

と言ってくれすぐそこまで出ていた言葉を飲み込みました。

 

 

「自分で生めなかった」

 

 

いや頑張ったもん。

そう思うようにしました。

 

時間にして26時間。

予定日を5日過ぎての壮絶な出産でした。

しかし私の出産は世の中にある出産エピソードの中の一つにすぎません。

人それぞれ様々な事が起きたと思います。

でもどれも共通してるのは子も親も絶対がないという事です。

生む側も傷一つ付けずに生むことは無理ですし生まれる子供もこれからの人生でも味わわないほどのストレスを潜り抜け生まれるそうです。

 

壮絶な出産だったのか

出産が壮絶なのか

 

身をもって体験することが出来ました。

 

とブログを書きながら当時を思い出しました。

まだまだ帝王切開の傷はたまに痛みます。

でもこの子を産んでよかったと。

いまさらながら再実感です。

生意気も言うようになってきました。

怒られても反発してくる事も増えてきました。

でもまだまだ4歳可愛い盛りです。

 

娘の寝ている可愛いほっぺに吸い付いてから寝たいと思います。

 

今日は長々書きすぎましたね。

最後までお付き合いありがとうございました。

次からはやっと子育てが始まります。

ぶつかる壁の厚さと高さに圧倒され続けた日々です。

 

気が向けばまたご拝読のほど宜しくお願い致します。

 

ではおやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妊娠と悪阻

こんにちは。

めいたろママです。

 

寒かったり暑かったりの日が続きますね。

この年齢になると免疫力も低下し風邪をひいたら最後。

3週間は治りません。

若いころは風邪って何?のレベルです。

しかし今は先日ひいた風邪が尾を引いてなかなか治らず最早若干風邪気味の状態が通常なのかと思うレベルです。

 

皆様、風邪にはお気をつけください。

 

 

今日は妊娠中の話をしていきたいと思います。

しばしお付き合いください。

 

結婚したのは27歳。

その頃はお互いの職場の場所も遠くまだ一緒に住んでませんでした。

仕事に式の準備に行ったり来たりでバタバタの毎日。

結婚式を1週間後に控えたある日。

ある疑惑。。。

あれ。。。?

来てないな。。。?

 

 

検査の結果・・・・

 

ビンゴ!!!

 

まさかのタイミング(笑)

でも子供は欲しかったので万々歳。

式場にも連絡して安全第一で執り行う事になり、

そして無事に終えることが出来ました。

 

住む場所のこともあり仕事も辞め優雅な妊婦生活の始まりです。

しかし妊娠すれば誰しもが通るであろう道。

それは「悪阻」

自分にもいつ来るかとドキドキ。

噂じゃ妊娠初期に常に船酔いの状態やら二日酔いが永遠やらと。

想像するだけで地獄。

母子手帳も貰ってこちらも臨戦態勢。

 

・・・・。

あれ・・・・?

なんか普通ですけど(笑)

 

いつか来るだろうと思っていましたがいつの間にかお腹もふっくら。

これって安定期(笑)

世間一般では安定期って悪阻もおさまるって聞いてたけど・・・。

まあ後期悪阻ってのもあるし!

いや悪阻がないに越したことはないのですが経験してみたかったといえば贅沢ですね。

悪阻がひどい人にとってはものすごく羨ましがられますが無いなりに

「本当にここにいるのかな・・・」

と不安になることもありました。

後期に差し掛かりましたが悪阻もなく胎児の大きさも標準。

とまぁ結果から言うと何の問題、トラブルもなく出産を迎えました。

 

妊娠をトータルで見ると初期から後期にかけて唯一変わった事いえば午後ティーが飲めなくなったくらい。

超絶どうでもいい(笑)

 

そんな妊婦生活を送っていつの間にやら母親に。

 

しかしそんな優雅な妊婦生活から一転。

壮絶な出産を迎える事になります。

 

その話はまた次回。

 

ご拝読頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子育てブログ始めました。

初めまして。

めいたろママです。

4歳の娘を専業主婦として育ててる平凡な人間です。

 

突拍子もなくPC技術もなく大したアイディアもなくただ何となく初めてみました。

主に4年間子育てをしていく中での出来事やその時の感情などを書き連ねていきます。

ある人にはありきたりであり、またある人には非日常に感じるかもしれません。

決してキラキラはしていません。

 

子育てブログでありながら子育て中の方から見れば「なんだこいつ」くらいに感じることもしばしばあるかもしれませんが十人十色という事で見守って頂ければ幸いです。

 

時系列は私の記憶力に限りがございますので不順となります。

思い出したことから書いていきます。

なお只今、絶賛子育て中によりリアルタイムな出来事を書くこともあるかと思います。

 

誤字脱字も多々あると思いますがそこは悪しからず内容より察してください。

3日坊主は自他ともに認める私の特徴ではありますのでむしろいつまで続くかを見てていただくのも良いかもしれません。

 

では本日はこのあたりで失礼いたします。